<牧口常三郎初代会長>
卓越した教育者であり、地理学者でもあった牧口常三郎初代会長。
1903年(明治36年)。20世紀の幕開けの春のことである。
牧口初代会長は、愛知の三河(みかわ)に足を運んでいる。31歳。青春の情熱を傾注して、大著『人生地理学』の完成に取り組んでいた。この年の秋、32歳で発刊が実現した。
このとき、牧口初代会長は、当時の高名な地理学者であった志賀重昂(しが・しげたか)氏に原稿の校閲を依頼に来たのである。
志賀氏は、愛知・岡崎市の出身で、衆議院議員としても活躍。牧口初代会長が訪れた時、志賀氏は選挙のため三河に戻っていた。
志賀氏は、多忙にもかかわらず、『人生地理学』の校閲を喜んで引き受けた。
なぜか。志賀氏は、その時の心境を『人生地理学』の序文に記している。「(牧口氏が)衣食の窮乏に耐え、しかもこつこつとしてその志を成さんとするに感じ、すなわちこれを諾し」と。
志賀氏は、無名の青年が衣食の窮乏に耐えながら、こつこつと研究を積み重ねてきたことに感動して、校閲を引き受けたというのである。
中部と牧口初代会長との縁を物語るエピソードである。
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