創価学会 三代会長と中部
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牧口常三郎初代会長の写真

<牧口常三郎初代会長>

卓越した教育者であり、地理学者でもあった牧口常三郎初代会長。
1903年(明治36年)。20世紀の幕開けの春のことである。
牧口初代会長は、愛知の三河(みかわ)に足を運んでいる。31歳。青春の情熱を傾注して、大著『人生地理学』の完成に取り組んでいた。この年の秋、32歳で発刊が実現した。
 このとき、牧口初代会長は、当時の高名な地理学者であった志賀重昂(しが・しげたか)氏に原稿の校閲を依頼に来たのである。
 志賀氏は、愛知・岡崎市の出身で、衆議院議員としても活躍。牧口初代会長が訪れた時、志賀氏は選挙のため三河に戻っていた。
 志賀氏は、多忙にもかかわらず、『人生地理学』の校閲を喜んで引き受けた。
 なぜか。志賀氏は、その時の心境を『人生地理学』の序文に記している。「(牧口氏が)衣食の窮乏に耐え、しかもこつこつとしてその志を成さんとするに感じ、すなわちこれを諾し」と。
 志賀氏は、無名の青年が衣食の窮乏に耐えながら、こつこつと研究を積み重ねてきたことに感動して、校閲を引き受けたというのである。
 中部と牧口初代会長との縁を物語るエピソードである。



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戸田城聖第二代会長の写真

<戸田城聖第二代会長>

 戦後、創価学会を再建した戸田城聖第二代会長が、初めて中部を訪れたのは1952年(昭和27年)8月である。この時、ようやく中部広布の一粒種・東松録三郎氏が創価学会に入会した。その後、55年(同30年)に千種区内で行われた第2回名古屋地区総会に出席。翌年には、岐阜、三重、また愛知・名古屋市公会堂にも激励の足跡を残している。最後の訪問となった57年(同32年)3月には、豊橋を訪れている。



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池田大作第三代会長の写真

<池田大作第三代会長>

 1953年(昭和28年)12月12日、名古屋市東区での座談会に、25歳の池田青年が出席。遅々として進まない広布の進展の状況を打破せんとの決意の炎が燃えていた。
 「名古屋はやるか!」と叫んだ時、集い来た友の「心の一凶」は吹き飛んだ。
 恩師・戸田会長の「心」――「中部に広布の新天地を!」――それは池田青年の心であった。以来、50星霜。107回に及ぶ中部訪問を通し、会員一人ひとりを温かく激励。2003年、中部広布50周年を晴れやかに迎え、まさに広布の大堅塁・中部創価学会が出来上がったのである。



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